亜麻色の髪の少女

駆け出しSEの備忘録的なもの

うつ病だと思っていたら適応障害だった

どうも、うらしるです。
前回から間が空きましたが、今回はその間にあったことについて書き残して良ければなあと思います。
相変わらず思っていることをつらつらと書いていく駄文になるかと思いますが、それでも読んでくれるという方はありがとうございます&よろしくお願いします。

 

休職するという選択肢

僕はこれまで、休職という選択肢をとることを避けてきました。
理由はいろいろありますが、休職すると自分は職場復帰、ないし社会復帰できなくなるような気がしていたからです。
そのため薬を飲みながらだましだまし働き続けていました。
しかし、そんな生活を5か月弱続けた結果、ついに限界がやってきました。
このまま働き続けても自分は苦しいだけ。
仕事もまともにできないから職場にも迷惑をかける。
この誰も幸せにならない状況、そして何より自分の苦しさに限界を感じ、僕は諦めて休職という選択肢をとることにしました。
現在も休職期間中で、なんとか生きています。
仕事から離れたことで(あるいは薬が増えたからかもしれませんが)以前のような不安感や苦しさはなくなりましたが、楽しい、嬉しいといった感情も感じない、虚無な生活を送っています。
ストレスもありませんが、ストレスの解消も全くできない状況です。
診断書には「一か月程度の休職を要する」と記載されていましたが、おそらく伸びるんじゃないかなあと感じています。

 

うつ病だと思っていたら適応障害だった

自分はずっと、自分の病気をうつ病だと思っていました。
実際診察の場で「うつ」という言葉は何度も耳にしましたが、「適応障害」という言葉は一度も耳にした覚えがありません。
しかし、診断書を出してもらいその内容を確認したところ、病名にははっきりと「適応障害」と記載されていました。
適応障害はその定義的に、ストレスの原因から距離を置くと6か月以内に症状がなくなる病気です。
つまり、僕の症状は治そうと思えばちゃんと治るということ。
これは良いことですが、問題は同じ職場、同じ仕事、すなわち同じストレス環境に戻った時にまた同じことになるのではないかということです。
うつ病であれば原因がはっきりとしないため治れば(寛解すれば)職場復帰できる可能性もあるんじゃないかなあと個人的に思います。
しかし適応障害は、同じ場所に戻ればまた同じ症状が発生するのではないでしょうか。
休職後、僕は職場復帰できるのか。
もっと言うと、そもそも社会復帰できるのか。
不安には感じませんが、不安だと考えてしまう、そんな状態です。

 

おわりに

結局今回もうつ(適応障害)の話になってしまいました。
休職期間ということで特に大きな出来事もなく、ただただ虚無の日々を送っているためブログに書くことが残念ながらありません(休職期間じゃなくてもそんなにありませんが)。
ゲームも全く楽しめない状況のため本当に困ったものです。
あ、そういえば蒼の彼方のフォーリズムEXTRA2は休職に入る前に購入してクリアしました。
あの時はギリギリゲームを楽しめる時期だったので普通に楽しく遊べました。
あおかなのキャラのストーリーにまた触れられたこと、そしてEXTRA1ではなかったFC要素が多分に含まれていたことが満足度高めでした。
FDなのでなんとなく予想はしてましたが、ボリュームは少なかったのでそこは残念でしたけどね。
ということで今回はこの辺で。

鬱を抱えながら働く中で思うこと

どうも、うらしるです。
ゲーム系ブログの予定だった当ブログを駆け出しSEの備忘録的ブログとして再スタートしたにもかかわらず話題はSE関係なく鬱のことばかりで果たしてこれは何ブログなのかと思いますが、今回も鬱についてです。
といっても前回、前々回のようにテーマのある(テーマに沿っていたかどうかはおいておいて)内容ではなく、自分の病気について思ったことをそれこそ備忘録的に書き出しておこうという、まあそんな内容です。
まあ近況報告、生存報告みたいなものだと思って、暇な方が見てくださればこれ幸いといったところです。
ちなみにどうでも良いですが、はてなブログって結局HTMLで編集した方が最終的に体裁整う気がするんですけどどうなんですかね。
HTMLの習得にもなって一石二鳥かなとも思ってそうしてますが、実際のところどうなんでしょう…。
まあHTMLの習得になるほどタグをたくさん使ってたりはしないんですけどね()

 

 

某ゲーム会社の選考を落ちたことについて

某ゲーム会社の選考に落ちてからある程度時間が経っているのですが、今更になって精神的ダメージを感じ始めました。
「休職はしてないのだから、鬱について言わなければよかった…。」
とか
「受かっていればゲーム会社で生き生きと働けていたのに…。」
とか。
落ちたものはもうどうしようもないので今更悔いても何もないのですが、それはそれ、これはこれ。
ただ後悔と同時に、
「某ゲーム会社は激務だろうから入ったら入ったで後悔していたかもしれない」
とか
「好きをいざ仕事にしてもイメージと違って、好きが嫌いになっていたかもしれない」
とかも考えたりして、結局どっちが良かったんだろうとも思ったりします。
まあこればっかりは某ゲーム会社での仕事を経験してみないことにはわからないことですし、もうその機会もないので今の僕にはわかり得ないことです。
考えるだけ無駄なので、落ちた現状でどう生きるかを考えた方がよっぽど生産的です。
…まあ、そうはいっても後悔の念や自分の現状を変えられなかったことによる不安にはふとした瞬間に襲われるのでどうしようもないわけですが。
不安を感じた時に服用する頓服薬、これまでなんだかんだ使ってこなかったのですが、最近ちょくちょく使うようになってきたのもまた不安材料だったりします。

 

自分が鬱になった原因について

システムエンジニアとしてやっていける自信がない、興味関心のない分野でスキルアップに追われながらこれからの社会人生活をずっと過ごすことに耐えられない。
これが、僕が鬱になった原因かと思っていましたが、そうじゃないかもしれないなあとも最近思ったりします。
例えば、会社での僕の周りの人間。
先輩や上司は生活を仕事に捧げているような人たちばかりで、毎日夜遅くまで残業しています(といっても、所謂超ブラック企業と比べれば全然なんでしょうが)。
週末に仕事に関することをしていたなんて話も頻繁に耳にしますし、自分も将来的にはそのような働き方をすることになるのかと思うと不安で不安で仕方なくなります。
また、コロナで新入社員研修が完全オンライン形式で実施されたことや、僕みたいなゲーム大好き人間が配属先の同期にいないこと等が影響して、僕には現状仲の良い同期がいません。
少し話す程度の仲の良さの同期ならいますが、大学の友人のような存在は会社での一年強の間に作ることができませんでした。
もし、周りの先輩上司に、仕事が嫌いで毎日とっとと切り上げる、もしくは嫌々残業するような、僕と同じでやることはちゃんとやるけど意識の低い人がいたら。
もし、休日一緒に遊ぶほど仲の良い同期ができていたら。
なんだかんだ鬱にはならずに働けていたかもしれないなあなんて思ったりもするのです。
職場でパワハラがあったり法外な残業があったりするわけではないので、単純に僕のメンタルが弱いというのももちろんありますけどね。
あとは、今の僕の仕事って日々タスクをこなしていくような仕事ではないんですよね。
ただ、タイミングによっては淡々とタスクをこなすような時間があって、その時間はそんなに苦痛じゃなかったりします。
興味関心だけじゃなくて、仕事の性質も原因の一つなのかもしれないなあとも思います。
淡々と日々タスクをこなすだけのような仕事は給与やら待遇やらが悪いところがほとんどだと思うので転職したいかと言われると即答はできませんけどね。
結局、あーだこーだ考えて、くだを巻いて、現状に不満は感じつつも何がクリティカルな不満なのかはわからず、状況が余計に悪化することを恐れて現状に甘んじている、そんな毎日です。
芯のないままここまで来た人間なので、この先もずっと芯のない生き方をしていくんだろうなあ。

 

他人は他人、自分は自分の精神を持ちたい

これまで周囲に流されて生きてきただけあって、僕は周囲に合わせる能力に長けています。
…いや、この書き方だと語弊があります。
正確には、周囲に合わせなければいけないという強迫観念を常に抱いています。
僕の部署の方々は皆さん夜遅くまで残業している、生活を仕事に捧げている、だから自分もそれに合わせなければならない。
そんな思いにじわじわと圧し潰されていた、そんなことも考えるのです。
しかし鬱になったことで、今更、この歳になってようやく、他人は他人、自分は自分という極々当たり前のことを思うようになりました。
四半世紀の人生で染みついた「周りに合わせなければならない」という思いはそう簡単に変えられるものではないと思いますが、それでも最近は、もう少し自分勝手に、もう少し自分の好きなように生きてみようと思っています。
とりあえず目下のところは、周りが残業してようが自分はやること終わらせてとっとと帰ることを意識したいところ(これまでも上司が帰るまで残るなんてことまではしてませんでしたが)。

 

おわりに

今回は、鬱を抱えながら働く中でぼんやりと思うことをつらつらと書き出してみました。
別に鬱予防したい人のためにもならなければ鬱の症状を改善するヒントにもならない、なんのとりとめもない内容ですが、まあこのブログは現状自己満足で書いてるのでいいかなと()
そういえば、自分は所謂「いい子ちゃん」を演じ続けた結果こうなったと思っているのですが、それでふと、『蒼の彼方のフォーリズム』の莉佳ルートがひさびさにやりたくなりました。
いいんですよ莉佳ルート。
みんなの前では「いい子ちゃん」を演じる莉佳の我慢が決壊するシーンとか、個人的にものすごく共感します。
そういえばつい先日『蒼の彼方のフォーリズム EXTRA2』が発売されましたけど、それも買おうかなあ…
みさきは私の好みのキャラからは外れますが、あおかなの世界観の新しい物語に触れられるというだけでちょっとやってみたくなりますね。
…莉佳と明日香のアフターも、なんなら本編の続編も作ってくれませんかねspriteさん()
まあ気が向いたらあおかな莉佳ルートやらEXTRA2の感想みたいなものもこのブログに書くかもしれません。
さすがにずっと鬱の話題だと重すぎますからね。

それでは今回はこの辺で。

僕が鬱になってから

どうも、うらしるです。
みなさんいかがお過ごしでしょうか。
僕は鬱と付き合いながらぼちぼち生きています。

さて、前回は僕が鬱になるまでの過程を書きましたが、今回は鬱になってから現在に至るまでを書き残したいと思います。
前回同様自分語り&見づらい文章になってしまうかと思いますが、このブログを見てくださっている方が、うつ病とはどんな病気でどんな症状があってどう危険なのかを理解していただければ幸いです。

 

 

最初は些細な違和感

入社してから9か月、業界や仕事内容に大して興味がないと思いつつ日々真面目に仕事をし、少しずつ業務に慣れてきた1月頃。
僕は責任ある仕事を任されることになりました。
もちろん詳細は書けませんが、社会的影響度が大きく、失敗すれば全国ニュースになるような案件の仕事です。
既存案件のため難易度自体は高くないこと、新人の僕にとって良い経験となること、そして何より部署の人手不足から僕が抜擢されたようです。

任務を受けた直後の僕の正直な感想は、「嫌だなあ」でした。
慣れない業務、案件の社会的影響度の大きさ、そして不要なまでに責任感の強い僕の性格…
どう考えても僕の身に余る業務だと感じました。
とはいえ断るわけにもいかず、僕は様々な不安を感じながらその業務にとりかかり始めました。

それから二週間ほど経った頃だったでしょうか。
僕は連日、胃に違和感を覚えるようになりました。
嘔吐したり鎮痛剤が必要なほどの痛みがあったりするわけではなく、胸やけに近いような、そんな違和感です
ストレスが胃にきているなというのはこの時点でわかりました。
ただその時はまさか自分がうつ病になるとは思っていなかったこと、そしてうつ病を甘く見ていたことから特に対処はせず、ひどくなったら胃薬でも飲めばいいかくらいに考えていました。
身体が危険信号を出していたこの時点で対処していれば…と今は思っています。

 

仕事への強い拒絶

胃に違和感を覚え始めてから一か月ほど経った頃。
突然、心が仕事に対して強い拒絶を示す日が訪れました。
いや実際には数日前から「仕事が嫌だ」という感情自体は強くなっていましたが、キーボードの上に置いた手が震える、涙が流れるといった強い拒絶反応が突然僕を襲いました。
そして最も怖かったのは、「もうこの会社、仕事は続けられない。でも今の労働条件で働けなかったら自分の働ける場所はない。そうなるともう死ぬしかない」と、実際は危険な作業を行っているわけでも能力的に仕事がこなせていないわけでもないのにそのような思考に陥り、死への恐怖に怯えるようになったことです。
とにかく、この状況はあまりにも危ないと思った僕は、翌日有給休暇を取り、精神科ないし心療内科を受診することに決めました。

 

見つからない受診先

僕個人の感覚としては、一刻を争う緊急事態でした。 翌日、近所の精神科・心療内科を検索し片っ端から連絡しますが、「うちは入院患者を受け入れるだけで診察は行っていない」、「初診の場合は数か月先になる」といった返事しかありません。
ようやく見つけた当日に初診受け入れをしている病院はGoogle検索結果の評価があまりにも酷く、今の状況でも受診するのを躊躇うほどでした。
絶望感が僕を襲います。
"今この瞬間"、"死への恐怖に怯える"ほどの緊急事態であるにもかかわらず、緊急で受け入れてくれる精神系のまともな病院がない…。
精神の病の怖さを別の面で知りました。
僕が幸運だったのは、そのときTwitterの友人から、当日受診できるまともな心療内科を教えてもらえたことでした。
大きな病院で、自宅から電車で1時間ほどかかる位置ではありましたが、すぐに当日予約をし、その日の午後に受診することができました。
もしあの時、友人からこの病院の存在を教えてもらえていなかったら…。
今頃どうなっていたかわかったものではありません。

 

診断結果はうつ病

血液検査や心理テスト、そしてお医者さんによる問診の結果、僕はうつ病と診断されました。
今の自分の異常で緊急な状況に正式な病名がついた、たったそれだけのことで僕は少し安心した気持ちになりました。
そして、お医者さんからは「休職した方が良い」と、診断書を出すと言われました。

しかし、僕はこれを断りました。

僕の性格上一度休職をすると、迷惑をかけた部署に帰れる気がしなかったこと、また仮に復職できたとして、同じ職場で同じ仕事をしていればまた同じ状況になるだろうと感じたこと、そして「うつ病により休職」という経歴があると、別のまともな会社・仕事へ転職することが難しくなるであろうことからの決断です。
休職はあとからでもできますが、一度休職すればその事実を取り消すことはできません。
精神状況的には休職したかったところですが、後の長い人生のことを考え、僕は働きながら鬱を治すという道を選ぶことにしました
お医者さんも最初は(働き続けるのは)やめた方が良いと休職を薦めてきましたが、最終的には僕の考えを理解してくださり、薬の処方で様子を見るということになりました。

 

地獄の病状悪化

初診から一週間は比較的心穏やかに過ごすことができました。
処方された薬は調べたところ即効性のあるものではなく、飲み続けて一か月ほどしてから効き始めるもののようでしたが、病院を受診するために取得した有給休暇と土日祝日で合わせて4連休となり仕事から少し離れることができたこと、そして自分の現状をお医者さんに話して正式に病名がついたことによる安心感から症状が和らいだのだと思います。
翌週の受診でも経過良好と診断され、薬を継続しつつ働きながら様子を見る体制になりました。

ところが、その後少しずつ病状が悪化していきます。

薬が遅効性のためか精神状況は日に日に悪くなっていき、仕事を続けられないのではという不安、そんな自分への絶望が大きくなっていきました。
そして、以前感じたものとは比較にならないほどの死への恐怖を感じるようになります。
「今の会社・仕事では働けない、でも今の会社で働けなかったら他に働ける場所なんてない、働けなくなったらお金が無くなる、そうなったらもう死ぬしかない」という以前と同じ思考に陥るだけでなく、「自分は社会不適合だ、仕事ができない自分は周囲に迷惑をかける、それなら死んでしまいたい」と、希死念慮、自殺衝動に駆られるようになります。
死ぬような仕事や職場環境ではないにも関わらず、常に死と隣り合わせな状況でした。
当然そんな状況でまともに仕事もできるわけがなく、集中力が持続しない、大して仕事をせずにただただ苦痛な時間を過ごす、そんな状況になっていました。
はっきり言って当時の僕は(というか今でもですが)明らかに給料泥棒でしたし、そんな自分にさらに嫌気がさすという悪循環に陥っていました。

 

薬の変更と転職活動

今処方されている薬はどうやら効いていない、でもやはり休職という手段はとりたくない。
そんな状況だったため、薬を別のものに変えてもう一度様子を見ることになりました。
また、ちょうどその頃から仕事がひと段落し、比較的業務に余裕が生まれ、定時近くに退社できるような生活になりました。
さらにゴールデンウィークという大型連休もはさんだことで、病状は再び回復傾向になりました。
仕事の集中力は相変わらずひどいものでしたが、少なくとも死と隣り合わせといった状況ではなくなりました。
とはいえ、またいつ病状が悪化するかわからない、また自殺衝動に駆られる日々に戻ることになるかもしれない。
そのため僕はある挑戦をすることにします。

それは、自分が本当は興味のあるゲーム業界へ転職をすること。

といっても、今更現状の給料や待遇を大きく下げるような転職はしたくないというのが正直なところです。
そして、大手のゲームメーカーは大学の専攻が無関係でかつ未経験の人間を募集なんてしていません。
しかし一社だけ、未経験でも募集をしている有名ゲーム企業がありました。
一か八か、僕はその会社の選考を受けることにしました。

 

順調に進む選考過程。しかし…

選考は、自分でも驚くほど順調に進みました。
正直書類選考の時点で落ちるだろうと思っていましたが、出した翌日には選考通過の連絡。
さらに一次面接も通過し残すは二次面接のみというところまで来ました。
まさか本当にゲーム業界で働けるのかと、期待してはいけないと思いつつやはりどうしても期待してしまう自分がいました。
この転職活動を進めている間、ゲーム業界で働けるかもしれないという希望で精神状態はかなりましになっており、仕事も多少は手を付けることができる状態となっていました。
そして迎えた二次面接。
感触は悪くない、もしかしたら本当に採用されるかもしれない。
そんな期待の裏に、不安な要素が一つ、影を落としていました。
既往歴です。
いっそ隠してしまえばよかったのですが、罪悪感がまさり、僕は既往歴を聞かれた際に現在うつ病であることを伝えました。
もちろん、休職等はしていないこと、うつ病の原因は現在の仕事の職種・業界が自分とミスマッチしているためであること、ゲーム業界は本当に自分の興味ある業界で鬱に関して心配はないことを伝えました。
しかし、実際問題として、雇う側はうつ病の人間を雇いたいと思うでしょうか。
雇った後に病状が悪化し休職となれば、僕の採用を決めた人事の方は責任を取ることになります。
そんな危険性のある人間を、果たして雇ってくれるでしょうか。

結局、二次面接の結果は不採用でした。

不採用の原因がうつ病だったのかは僕には知る由がありません。
実際はうつ病など関係なく、純粋に二次面接の結果で落ちたのかもしれません。
それでもやはり、もしうつ病であると打ち明けていなかったら。
そんなことを考え、今でも度々後悔の念に駆られます。

 

転職活動がもたらしたもの

某ゲーム企業の選考が進んでいく中で、僕はどうしても自分の中で期待が大きくなってしまっていることを感じていました。
そして期待が大きくなればなるほど、不採用となった時の精神的ダメージも大きくなってしまうことを危惧していました。

しかし、いざ不採用通知を受け取った後、僕の精神状態は意外なことにも安定していました。

むしろうつ病になる前に近いパフォーマンスを仕事で出せる程度には回復していました。
二次面接の直前に薬の量が増えており、それが理由なのかもしれませんが、僕は他に理由があるのではないかと思っています。

それは、自分の人生にあきらめがついたのではないか、ということです。

前回の投稿にも書きましたが、僕はこれまでの人生で、自分が本当にしたいことへ挑戦したことがありませんでした。
流されるままに生き、そして行き着いた先でうつ病を患いました。
今回のゲーム企業への転職活動は結果的には不採用でしたが、人生で初めて、自分のやりたいことに挑戦した経験となりました。
挑戦して、ダメだった。
その経験で、どこか自分の人生にあきらめがついたのかもしれません。
今も相変わらず抗うつ剤は飲んでいますし、今の仕事内容も業界も全く興味はありません。
働きたくなどありませんし、可能な限りさぼりたい。
プライベートの時間に仕事のための勉強なんて絶対にしたくありませんし、明らかにシステムエンジニアに向いていません。
でも、ほとんどの人間はそんなもんなのではないかと思っています(というか思いたい)。
夢に向かって挑戦してみたけどダメで、諦めて大して興味もない仕事をして、生きていく。
転職活動を通して、僕はようやく、不満足な現状に甘んじ、惰性で生きていく精神を身につけようとしているのかもしれません。

 

おわりに

結局ほとんど自分語りでうつ病とはどんな病気かについて大して触れていない駄文となってしまいました。
うつ病は甘えなどという言葉をしばしば耳にすることがありますが、決してそんなことはありません。
知らない方からすれば何を大げさなと思うかもしれませんが、うつ病は死と隣り合わせの病気です。
もし、当日受診できる病院を友人に紹介されていなかったら。
もし、親や友人といった悩みを聞いてくれる存在がいなかったら。
もし、病状が回復していなかったら。
僕はどこかのタイミングで自殺衝動に従い命を投げ出していたかもしれません。

もし皆さんの周囲にうつ病を患っている方がいたら、話を聞いてあげてください。
そして決して死んではならないと、伝えてあげてください。

以上、僕が鬱になってからの話でした。
またこの先病状が悪化しないとも限らないので、自分をいたわりながら、無理なく生きていける道をぼちぼち探していこうと思います。
目下のところは、某ゲーム会社に落ちた際の後悔や悔しさとうまく付き合っていきたいと思います。 それではまた次の機会に。

僕が鬱になるまで

どうも、うらしるです。

今回は僕が鬱になる前までの話をしたいと思います。

僕という人間がいかにいい加減に生きてきたのか、そしていい加減に生きてきた人間にどのようなつけが回ってきたのかを、反面教師として参考にしてもらえればこれ幸いという気持ちです。

 

自分の興味関心に気づけない幼少期

僕は、地方の一般家庭で生まれ育ちました。

貧乏でも裕福でもない家で、一人っ子としてぬくぬくと育てられた僕は、特に大きなトラブルもなく小学生まで成長します。母親の友人の家で遊んだスペースインベーダー(PS)、父親の車のディーラーに設置してあった大乱闘スマッシュブラザーズ(64)、盆正月に従妹が家に持ち込んできたスーパーマリオサンシャインGC)、友人の家で遊んだ太鼓の達人PS2)と、今思えばこの頃からゲームに対して人以上に興味関心を持っていた僕ですが、周囲の同年代にもゲームが(普通程度に)好きという人間が多かったこと、両親がゲームを毛嫌いしていて私からゲームを遠ざけていたことから、僕がゲームに対して他人より強く興味を持っているというのが自分も周囲も気づくことができませんでした。自分のやりたいことはこの時点でもうある程度方向性が見えていたはずですが、なぜか見えていなかった。そんな幼少期~小学生時代を過ごします。

ちなみに余談ですが、小学生時代にいじめが原因で危うく不登校になりかけたことがあります。幸い、当時の学校の先生方がしっかりとされていたため最終的に不登校にはなりませんでしたが、もしかすると今の人格形成にある程度の影響はあったのかもしれません。

 

人生の方向が大きく狂った中学時代

中学校に上がり、僕はなんとなく工業高等専門学校を目指すようになります。理由は本当になんとなくです。でも今思うと、このなんとなくの感覚は大切だったのかもしれないと思ったりします。一年生の頃から両親には高専に行きたいということを伝え、両親もそれを許し、僕は一生懸命勉強に励みました。自分で言うのもなんですが勉強はできる方だったので、そんな僕が努力まですれば成績は上の上、というか通知表は基本オール5でした。

これと同時に、僕は運動部にも在籍しました。これは自分の意志ではなく、親に運動部に入るよう強制されたためです。毎日の走り込みや休日の練習など正直嫌で嫌で仕方ありませんでしたが、小学生の頃から嫌いだった同級生がたまたま同じ部活に入っており、そいつより先に逃げ出すのが嫌で結局三年生の引退まで嫌々部活動を続けました。嫌なことから逃げずに続ける忍耐力がこの経験でついたのかもしれません。また、本当に今思い返せばという話ですが、この時の部活動でついた筋力と基礎代謝のおかげで太りにくい体質になってる気がしています。

さて、部活動を引退するといよいよ高校受験です。といっても僕は一年生の頃からしっかり勉強していたため特に困ってはいませんでした。学校からの推薦で高専に入学できるだろうと自信に満ち溢れていました。

しかしここで親が突然、高専への進学に反対します。

「本気だとは思わなかった」、「普通の高校と比べて学費がかかる」、「普通の高校へ進んだ方が道はいろいろ選べる」などなどいろいろ言われましたが、当時の僕にとってはどれもどうでもよいことでした。三年間、いったい何のために勉強を頑張ってきたのか。一年生の頃に言ってくれていた「高専に行ってもいいよ」とはなんだったのか。当時の僕は絶望に打ちひしがられ、初めて親と大喧嘩しました。

結局、学費を出してもらえない以上高専に進学することはできないため、僕は普通の高校に進学することになりました。もはや自分の進路はどうでもよかったため、当時通っていた塾の先生に言われるがまま、家から電車で少し行ったところにある公立高校の進学クラスに入りました。

 

目的もなく勉強に追われた高校時代

公立高校の進学クラスでは、別に自慢とも思っていませんが僕は三年間学年主席を維持しました。

これは別に中学同様何か目標があったからだとか、僕の地頭が超絶良かったからだとかそんなポジティブな理由ではありません。高専という目標を他者によって潰された僕には目標なんて何も見えていませんでしたし、努力しなくても勉強ができるほど僕の頭はよくはありません。

ではなぜそんな僕が成績トップを取り続けたのか。それはただただ周囲からの期待(という名のプレッシャー)と、知らず知らずのうちに形成されていた無駄なプライドによって、苦しいながらも勉強することをやめられなかったからです。

勉強は嫌いです。できることならしたくないというのが正直なところで、それは今も昔も変わりありません。しかし勉強をしないことで周囲の期待を裏切り失望されてしまう、そして高校受験の際に得た学年主席の座を奪われたくないという思いから、ある種強迫観念に駆られながら僕は勉強を続けました。非常に苦しかったですが、幸いなことに結果はついてきてくれたため、大学受験自体はそれほど困りませんでした。

志望校を決めること以外は。

普通に考えれば高専がだめなら大学で工学部へと進めばよいところなのですが、当時のクラスメイトに高校生ながら情報系の知識に非常に秀でた人がいて(今の教育課程だと高校生でも情報系の知識はある程度あるのかもしれませんが、当時はほとんど学校では教わりませんでした)、自分のような工業系の知識のない人間は工学部に行ってももうだめなのかもしれないという思いがあったこと、当時通っていた塾の先生が、何を根拠にしたのか知りませんが「これからの時代は農学だ!」と言っていたこと、そして農学なら他の理系と比べて偏差値が低いため某有名国立大学が狙えたことから、僕は最終的に全く興味のない農学部へと進学することを決めます。一応、農学部からであれば食品メーカーに入りやすいだろうということ、食品業界は多少衰退することはあれど潰えることはないだろうという考えもあったかとは思います。

結局センター試験で微妙に失敗した僕は某有名国立大学の受験をあきらめ、別の中堅国立大学を受験することになります。志望学部を変えてもよかったのですが、その時期に学部を変えるというのは自分に芯がないみたいで嫌だった(実際芯がなかったわけですが)ため、学部は変えず、そのまま浪人することなく農学部へと進学しました。

 

惰性で過ごした大学時代となんとなくこなした就職活動

大学の勉強は案の定興味なく、ただただ留年しないように単位をとることだけを目標に勉強をし、あとはバイトとサークル活動という典型的なダメ大学生になりました。モラトリアムを延長したいからという理由だけで大学院にまで進学し、なぜか全く興味のない農学修士の学位を得て僕はめでたくストレートに大学・大学院を卒業します。

そんな僕が就職先に選んだのは、某大手SIer企業。食品メーカーからも内定はもらっていましたが、工場勤務がなんとなく嫌だったこと、単純にSIerの方が給与や福利厚生が良かったこと、それと、ここまできてやはり農業系(食品系)よりは情報系の方が興味があるだろうという思いから食品メーカーは辞退しました。

 

肩書だけの人生、そして鬱へ

紆余曲折ありましたが、なんだかんだ高校を学年主席で入学・卒業し(最終的に合格した大学の偏差値は学年トップではありませんでしたが)、そこそこの国立大学に浪人することなく入学、ストレートで大学院まで卒業して大手企業へ入社。これだけ見れば順風満帆な人生、所謂「成功した人生」を歩んでいると内心思っている自分もいました。あとは勤務時間はしっかり働いて、仕事以外の時間をめいっぱい楽しめばそこそこいい人生を過ごせるだろう、そんな風に思っていました。

しかし社会は、芯のない流れだけで生きてきた人間が適当に過ごせるほど優しいものではありませんでした。

多少の興味はあったとはいえなんとなく程度、業界自体は大学で学んでいたことと畑違いのため右も左もわからない状態。そんな状況で私は再び、高校の時のように何かに追われるように勉強しながら働く生活をするようになります。情報系の勉強は少なくとも農学よりは断然楽しかったです。しかし勉強は勉強、どちらかといえばしたくないものです。おまけに一年目からそれなりに責任ある仕事を任されてしまい勤務時間はプレッシャーに圧し潰されそうになりながら働くことになります。

そんな状態が数か月続いた結果、僕はうつ病を発症しました。

うつ病になってからの話はまた別の記事にしたいと思うのでここでは書きませんが、うつ病は想像以上につらい病気です。身体は健康なはずですが、誇張でもなんでもなくまともに働けない状態になります。ただ働けないだけならいいのですが、精神的にひたすらにつらい状態が仕事中も仕事以外の時間もずっと続くのは地獄としか言いようがありません。

 

終わりに

こんなブログを読んでいる学生の方なんていないと思いますが、それでも伝えさせてください。

勉強も大切ですが、自分のやりたいことをしっかり見つけてください。些細なことでも自分の興味に正直になってください。そして就活の際は、自分が仕事を続けるために必要な条件は何なのか(給料なのか勤務時間なのか仕事内容なのか通勤時間なのか福利厚生なのか等)しっかりと見定めてください。芯もなく就職まで駒を進めた先に待っているのは地獄かもしれません。

ここまで書いて、非常に読みづらく長い文章になってしまったなと自分でも思います。一度下書きに残して後日推敲してから投稿するとは思いますが、それでも文才のない自分には読みやすい文章にできる気はしていません。

ここまで駄文に付き合っていただきありがとうございました。

 

それではまた別の記事で

お久しぶりです

このブログを見られている方が果たして何人いるのか、そもそも存在しているのかはなはだ疑問ですが、もしかしたら存在しているかもしれないそこのあなた、お久しぶり、もしくははじめまして。うらしるです。

 

飽き性な上に面倒くさがりがブログなんて続くわけもなく、3, 4記事程度を投稿してぱったりと更新することのなくなったこのブログですが、最近とても良いキーボードを買ってタイピングが楽しくなったのでひっそり再開してみることにしました。たぶんまたすぐに飽きます。

 

前回の更新が2年前の8月だったみたいですが、あれから私にもいろいろなことがありました。

 

大学を卒業し、全くの未経験でSEになり、社会人という身分も仕事の内容も住む環境もすべてが慣れない状況で一年間を過ごしたのちに鬱を患ったりしました。今でこそ抗うつ剤が聞いているのか日常生活に支障はないですが、症状のひどい時はとても生きた心地がしなかったです。完全に舐めてました、鬱。自分のこれまでの生き方含めて鬱についてはこのブログに書き残せればいいなあとなんとなく考えていたりしています。すぐに飽きるでしょうが。

 

なので、これまで(といっても3. 4記事しか書いてなかったですが)はゲームと日常の話を扱うブログでしたが、今後は鬱という病気について共有できること、そしてSEとして技術の備忘録的なことも書いていけるブログにしていければなと思っています。もちろんゲームについてもちょこちょことレビューを書いていければ…いいなあ…。

 

ブログの書き方の作法なんかも特にわからないまま書きたいようにつらつらと書いていくので、読みづらいブログになってしまうかもしれません。できる限り読みやすいようにしていきたいとは思いますが、ブロガーとしてお金を稼ぐ気概は今のところないためある程度は大目に見てもらえると助かります。

 

それではまたそのうち。

ゲームソフトの時限独占はゲーム業界にとって薬なのか毒なのか

先日、海外のゲーム系ニュースサイト「Wccftech」で以下の記事が公開されました。

 

wccftech.com

 

記事の内容を端的に言うと、「ソニーは有名な大型タイトルをPS5用にいくつか時限独占している」というものです。

この「時限独占」というのは、ソニーマイクロソフト任天堂といったゲーム機本体(ハード)を開発・販売する企業が、そのハードのゲームソフトを開発・販売する企業と契約を結び、自社ハードでのソフトの販売を先行させる、言い換えれば他社ハードでの同一ソフトの販売を遅らせるといったものです。これにより各ハード会社は自社のハードを他社のハードより優位に立たせることができ、販売を伸ばすことが見込めます。最近だと「Final Fantasy VII Remake(PS4)」が時限独占タイトルとして個人的に記憶に新しいですが、他にも特定のハードで先行して販売されるソフトは結構多かったりします。

 

この時限独占、ユーザーからするとあまり印象の良いものではありません。PS4ユーザーは早くそのソフトを体験できるのに、SwitchやXbox Oneユーザーは遊ぶことができない。さらに今のこのインターネット社会、SNSや動画配信サイトでそのソフトの感想やプレイ映像は簡単に目に入るためネタバレを完全に避けることは難しく、いざ自分の持っているハードでそのソフトが販売される頃にはもう購買意欲が失せているなんてこともざらです。先行販売されているハードを買えば当然早く遊ぶことができますし、時限独占を行う企業の目的はまさにそこにあるわけですが、そもそも時限独占などなければ他のハードでも早くに遊べていたものを『制限』して他のハードを買わせるというこの形態はとてもユーザー思いのものとは言えません。また、後から他のハードで販売されることを隠し、あたかも永久独占タイトルであるかのように販売する手法もちらほらと見られ、こちらもユーザーの反感を買っています。先日「ドラゴンクエストXI 過ぎ去りし時を求めて S」のPS4版が公表されましたが、こちらも最初はSwitch独占かのように販売していたためかなり反感を買ってしまっています(実際任天堂が時限独占契約をしていたのかは不明であり、Switch版が好評だったためスクウェア・エニックスが後からPS4版を追加したという可能性もあります)。

 

では時限独占はユーザーにとって悪いことばかりなのかというと実はそうではありません。先述したとおり、時限独占は基本的にハード会社がソフト会社と契約を結ぶことで成立します。つまりここには金銭が発生します。ソフト会社はハード会社との時限独占契約によって得た資金を開発費等に回すことができ、結果としてより高品質なソフトの開発につながります。「DEATH STRANDING(PS4)」はソニーからの資金的な支援がなければあれほど短期間にあれほどの高品質で世に出ることはなかったでしょう。

 

時限独占はゲーム業界にとって薬なのか毒なのか。これは一概に薬である毒であると言うことはできません。しかし毒である側面を少し緩和する方法はあるのではないかと思います。例えば、「時限独占」という言葉を「資金提供」という言葉に変えるだけでも、ユーザーからの反感はそれほど大きくはならないのではないでしょうか。

ラストオブアス2感想・レビュー

さて、一番最初のゲーム記事はラストオブアス2についてです。

The Last of Us Part II

発売日:2020年6月19日

プラットフォーム:PS4

開発:Naughty Dog

発売:SONY Interactive Entertainment

CERO:Z

ジャンル:アクションアドベンチャーサバイバルホラー

www.amazon.co.jp

 

パッケージ版を購入

前作「The Last of Us」(PS3)の発売から7年、満を持して発売されたNaughty Dogによる続編。僕はAmazonでパッケージ版を購入しました。超期待の作品だったのでダウンロード版で発売日の0時から遊ぶことも考えたのですが、パッケージ版のほうが1500円も安かったためそちらにしました。すでにこの記事を書きながらNaughty Dogという開発会社について、ゲームの開発と発売の違いについて、パッケージ版とダウンロード版について等書きたくなってきましたが、それはまたの機会にします。

まず最初に驚いたのは、パッケージにディスクが二枚入っていたことPS4だと過去に「Red Dead Redemption 2」が同じくディスク2枚で発売されたということを見聞きはしていましたが、いざ目の当たりにすると「いやいや何年前のゲームだよwww」という感想を抱きましたね。「FINAL FANTASY IX」(PS)とか「METAL GEAR SOLID」(PS)とか(これらも知識として知ってるだけ)。まあでもPS4はゲームを本体にフルインストールするので、最初のインストールさえ終わればゲーム中にディスクを入れ替えるという動作は必要ないですし、むしろBD一枚に収まりきらないほど作り込まれているのかと個人的にはワクワクしました。

 

期待通りの超美麗なグラフィック・安定して面白いアクション

ラストオブアスは重厚なストーリーが大きく評価されているゲームのため、感想やレビューをするにあたってストーリーに触れないわけにはいきません。が、どうしてもネタバレになってしまうためストーリーについては後述します。というわけでまずはネタバレなしでできる範囲の感想を。

まず、グラフィックに圧巻されたというのが一番最初に抱いた感想です。「The Last of Us Remaster」(PS4)も十分グラフィックは綺麗でしたし、同じNaughty DogPS4タイトルである「アンチャーテッド 海賊王と最後の秘宝」でもロケーションの作り込みに感動した覚えがありますが、それらとは比にならないくらいに本作のグラフィックは綺麗でした。オブジェクトの使い回しもなく(厳密には気にならなく)、開発の妥協のなさが感じ取れます。またただ綺麗なだけでなく、荒廃した世界の雰囲気、風化した建物の質感の表現力はさすがNaughty Dogと思わされました。

アクションについても非常に快適で面白い仕上がりになっていたのではないかなと思います。もともと前作のアクションは人気が高く、オンライン対戦も高評価でした。そのアクションを基本的には踏襲しつつ、ジャンプや匍匐といった新しい要素の追加があったり、前作で僕が少し気になっていたどこかもっさりとした挙動がサクサクしたものに改善されていたりと、プレイしていて楽しいアクションに仕上がっていると感じました。今の所今作にはオンライン対戦が実装されていませんが、今後アップデートやDLCで追加されて欲しいところです。

 

肝心のストーリーについて

さて、ここからはストーリーについてです。正直上述のグラフィックやアクションなんてどうでもいいんです(そんなことはない)。僕はストーリーについて言及がしたかった。

というわけで以降ネタバレ要素を多分に含みます。また、批判を含む内容となっていますので、まだプレイしていなくて今後プレイ予定の方、本作が好きで批判意見を目にしたくない方は閲覧しないことを推奨します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

前作「The Last of Us」は、人間の脳に寄生する謎の病原菌によってパンデミックが起こったアメリカを舞台に、最愛の娘を亡くした悲しみに囚われ続けている主人公「ジョエル」と、菌への免疫を持つ少女「エリー」が様々な苦難を乗り越えながら大陸を横断するというストーリーが展開されました。大陸横断の果てにたどり着いた医療機関でのワクチン開発、この旅の目的の達成にはエリーの命を引き換えにする必要があることをジョエルは知ります。既に手術の直前。ジョエルは世界よりも、人類の未来よりもエリーを選び、医療機関にいる人々を惨殺してエリーを救い出しました。この旅の道中での各登場キャラクターの心情変化の描写、荒廃した世界の描写、そしてなんといっても物語の結末に展開されるジョエルとエリーの会話、これらが高く評価され数多くのメディアでGame of the Yearを獲得。ゲーム史に残る名作の一つとなりました。

 

その続編となる本作。冒頭でジョエルが死にます。それはもうあっさりと敵組織に殺害されます。

 

もうね、ぽかーんでしたよ。おそらく大半のプレイヤーがそうだったのではないかと思います。前作でプレイヤーと苦楽を共にし、非常に愛着のある主人公が物語の序盤も序盤で殺されたときの衝撃は凄まじいものでした(MGSV:TPPの主人公が最後の最後で影武者だと判明したときと同じくらい)。

まあでもいいんです。悲しくはありますが、最終的に物語が面白ければいいんです。エリーの旅の動機としては十分ですし、前作の人気に乗じて雑な続編を出されるよりは全然いい。PVでジョエルがエリーの肩を掴んで「お前を置いていくわけないだろ」と言っていたのはなんだったのかなど思ってはいけないのです。

さて、プレイヤーと復讐心を共にしたエリーの旅が始まります。主犯はジョエルが前作で殺害したエリーの執刀医の娘、アビー。この時点でアビーの素性は明かされてはいませんが、とにかく敵です。エリーはアビーを追ってワシントンの地を旅します。アビーの痕跡を追い、その仲間を拷問・殺害しながら情報を収集、先行して復讐の旅に出ていたジョエルの弟トミーと合流。そして、旅のサポートをしていたエリーのパートナーであるディーナの妊娠が発覚したこともあり、一度暮らしていたジャクソンシティに帰還することとなります。

 

わけがわからん。

 

トミーが復讐の旅に出ることはわかる。しかしディーナ、そしてディーナの元カレのジェシーは物語に果たして必要だったのか?LGBTの要素はわざわざ入れる必要があったのか?エリーとトミーの旅では駄目だったのか?というか、殺害されたトミーの復讐のためにエリーとジョエルが旅に出るという物語では駄目だったのか?

 

…と、思わずヒートアップしてしまいましたがまあいいんです。プレイヤーの分身であったジョエルの敵討ちより本作から突然出てきたエリーのパートナーが優先されるのもまあいいんです。それがエリーの選択なのだから。前作で長い間苦楽を共にしたジョエルよりプレイヤーの知らないところで快楽を共にしたディーナを選ぶのかなどと思ってはいけないのです。

 

もちろん、物語はここでは終わりません。ジャクソンへ帰還しようとしている最中、エリーたちがアジトにしていた劇場になんとアビーが乗り込んできます。なんとなく物語中で死にそうだなと思っていたジェシーが頭を撃ち抜かれますがプレイヤーにもエリーたちにも悲しみの感情はありません。今は何よりアビーです。今こそジョエルの敵討ちを果たす時が来たのです。画面は暗転。そして、ついにアビー編のスタートです。

 

?????

 

さすがに理解ができませんでした。プレイヤーはエリーとともにジョエルの敵討ちだと手に汗握っていたところで、まさかのその敵のパートです。しかもエリー編と同じくらいボリュームがあります。アビーに何も感情移入ができない分体感ではエリー編の二倍くらいあったのではないでしょうか。最後にアビー操作でエリーと戦う羽目になったときはここでプレイをやめようかとさえ思いました。

 

結局、アビーはエリーを追い詰めたもののすんでのところでディーナに邪魔をされ、妊娠していた彼女を殺すことができなかったためエリー、ディーナ、トミーの三人を見逃します。いやいや、同じく妊娠していた仲間をエリーに殺されているんですよと。そうでなくてもここまで特に恨みのない人々を散々殺害してきているのに、今更妊娠を理由に復讐相手を見逃すのは一体どういうことなのかと。もちろんここでエリーを殺して物語が終わりだったらそれはもう大ブーイングものですが、だからといってこれはちょっと不自然なんじゃないかと思ってしまいます。

 

月日は流れ、エリーはディーナ、そしてその息子と三人で穏やかな日々を送っていました。しかし目の前でジョエルを惨殺された光景がトラウマとして残っており、そこにトミーからアビーの目撃情報を知らされたことから、エリーは再び復讐の旅に出ます。そしてついにエリーはアビーを追い詰めますが、最後の最後で生前のジョエルの姿が頭をよぎり、アビーを殺すことができませんでした。

ディーナと息子の三人で暮らしていた家に帰ってきたエリー。しかしそこにディーナたちの姿はありません。残されていた私物の中からギターを取り出しますが、アビーとの戦いで指を何本か失ったエリーは弾くことができません。復讐の果て、エリーは大切なものをすべて失い、そして物語は幕を閉じます。

 

結局復讐果たさんのかい

 

いやわかるんですよ。復讐は何も生まないとか、敵側にも正義があるとか。アビーを見逃す=許すことでジョエルを許したのかなとかも考えることはできるんですよ。ただ、それでも僕は、この物語と演出方法に納得できないのが正直なところです。たぶん、物語を客観的に、フラットに楽しむタイプの人は今作も楽しくプレイすることができたのだと思います。ただ、物語に感情移入し、主人公やその仲間に共感しながら物語を楽しむタイプの人には今作のストーリーはかなり厳しいのではないかと思いました。ジョエルやエリーが好きな人にはこの物語はきつすぎる…

 

まあでも全体を見ると微妙だったなと個人的に思ってしまいますが、物語の途中途中に入るエリーとジョエルの思い出のシーンは好きでした。あと、前作でジョエルがエリーの意志を無視して彼女を病院から奪還したことに対する、エリーの「許せない、でも許したいと思ってる」というセリフは、前作の最後の続き、そしてこの物語のすべてを表しているセリフだなと思い、プレイ後も強く印象に残っています。

 

最後に総評というほどのものでもないですが。ストーリー自体は賛否両論あって然るべき内容だったなと思います。前作を、前作の登場人物たちを愛する人が見たかった内容ではない、むしろ見たくなかった内容だったため否定的意見を持つ人が多かったのだと思います。僕もそのうちの一人に入るでしょう。でも、こうなることをきっとわかった上でシナリオライターの方はこの物語を書き上げたのだと思いますし、「製作者が作りたいものを作った」という意味で大きな意味のある作品だったと思います。世界的に有名な超大作の続編というプレッシャーの中、無難な作品ではなく挑戦的な作品を、超高クオリティで出してきたのはさすがNaughty Dogだなと改めて思います。クリアした直後は納得いかないという感情が先行していい印象がなかった本作ですが、時間を空けて改めて考えてみると、色々考えさせられるいい作品だったのかなとも思います。エンターテインメントとしては微妙でしたが、文学作品としては最高だったと思います。

 

 

 

終わりに

こんな駄文を最後まで読んでくださった方、ありがとうございます。自分でも途中から書きたいことがごちゃごちゃしてしまってとてもまとまりのない、読みにくい文章になってしまったなと思います。世のゲームレビューブログを書いてる人たちはすごいですね。自分もああいう読みやすい文章が書けるようになりたい…。これから精進していきます…。