亜麻色の髪の少女

駆け出しSEの備忘録的なもの

僕が鬱になるまで

どうも、うらしるです。

今回は僕が鬱になる前までの話をしたいと思います。

僕という人間がいかにいい加減に生きてきたのか、そしていい加減に生きてきた人間にどのようなつけが回ってきたのかを、反面教師として参考にしてもらえればこれ幸いという気持ちです。

 

自分の興味関心に気づけない幼少期

僕は、地方の一般家庭で生まれ育ちました。

貧乏でも裕福でもない家で、一人っ子としてぬくぬくと育てられた僕は、特に大きなトラブルもなく小学生まで成長します。母親の友人の家で遊んだスペースインベーダー(PS)、父親の車のディーラーに設置してあった大乱闘スマッシュブラザーズ(64)、盆正月に従妹が家に持ち込んできたスーパーマリオサンシャインGC)、友人の家で遊んだ太鼓の達人PS2)と、今思えばこの頃からゲームに対して人以上に興味関心を持っていた僕ですが、周囲の同年代にもゲームが(普通程度に)好きという人間が多かったこと、両親がゲームを毛嫌いしていて私からゲームを遠ざけていたことから、僕がゲームに対して他人より強く興味を持っているというのが自分も周囲も気づくことができませんでした。自分のやりたいことはこの時点でもうある程度方向性が見えていたはずですが、なぜか見えていなかった。そんな幼少期~小学生時代を過ごします。

ちなみに余談ですが、小学生時代にいじめが原因で危うく不登校になりかけたことがあります。幸い、当時の学校の先生方がしっかりとされていたため最終的に不登校にはなりませんでしたが、もしかすると今の人格形成にある程度の影響はあったのかもしれません。

 

人生の方向が大きく狂った中学時代

中学校に上がり、僕はなんとなく工業高等専門学校を目指すようになります。理由は本当になんとなくです。でも今思うと、このなんとなくの感覚は大切だったのかもしれないと思ったりします。一年生の頃から両親には高専に行きたいということを伝え、両親もそれを許し、僕は一生懸命勉強に励みました。自分で言うのもなんですが勉強はできる方だったので、そんな僕が努力まですれば成績は上の上、というか通知表は基本オール5でした。

これと同時に、僕は運動部にも在籍しました。これは自分の意志ではなく、親に運動部に入るよう強制されたためです。毎日の走り込みや休日の練習など正直嫌で嫌で仕方ありませんでしたが、小学生の頃から嫌いだった同級生がたまたま同じ部活に入っており、そいつより先に逃げ出すのが嫌で結局三年生の引退まで嫌々部活動を続けました。嫌なことから逃げずに続ける忍耐力がこの経験でついたのかもしれません。また、本当に今思い返せばという話ですが、この時の部活動でついた筋力と基礎代謝のおかげで太りにくい体質になってる気がしています。

さて、部活動を引退するといよいよ高校受験です。といっても僕は一年生の頃からしっかり勉強していたため特に困ってはいませんでした。学校からの推薦で高専に入学できるだろうと自信に満ち溢れていました。

しかしここで親が突然、高専への進学に反対します。

「本気だとは思わなかった」、「普通の高校と比べて学費がかかる」、「普通の高校へ進んだ方が道はいろいろ選べる」などなどいろいろ言われましたが、当時の僕にとってはどれもどうでもよいことでした。三年間、いったい何のために勉強を頑張ってきたのか。一年生の頃に言ってくれていた「高専に行ってもいいよ」とはなんだったのか。当時の僕は絶望に打ちひしがられ、初めて親と大喧嘩しました。

結局、学費を出してもらえない以上高専に進学することはできないため、僕は普通の高校に進学することになりました。もはや自分の進路はどうでもよかったため、当時通っていた塾の先生に言われるがまま、家から電車で少し行ったところにある公立高校の進学クラスに入りました。

 

目的もなく勉強に追われた高校時代

公立高校の進学クラスでは、別に自慢とも思っていませんが僕は三年間学年主席を維持しました。

これは別に中学同様何か目標があったからだとか、僕の地頭が超絶良かったからだとかそんなポジティブな理由ではありません。高専という目標を他者によって潰された僕には目標なんて何も見えていませんでしたし、努力しなくても勉強ができるほど僕の頭はよくはありません。

ではなぜそんな僕が成績トップを取り続けたのか。それはただただ周囲からの期待(という名のプレッシャー)と、知らず知らずのうちに形成されていた無駄なプライドによって、苦しいながらも勉強することをやめられなかったからです。

勉強は嫌いです。できることならしたくないというのが正直なところで、それは今も昔も変わりありません。しかし勉強をしないことで周囲の期待を裏切り失望されてしまう、そして高校受験の際に得た学年主席の座を奪われたくないという思いから、ある種強迫観念に駆られながら僕は勉強を続けました。非常に苦しかったですが、幸いなことに結果はついてきてくれたため、大学受験自体はそれほど困りませんでした。

志望校を決めること以外は。

普通に考えれば高専がだめなら大学で工学部へと進めばよいところなのですが、当時のクラスメイトに高校生ながら情報系の知識に非常に秀でた人がいて(今の教育課程だと高校生でも情報系の知識はある程度あるのかもしれませんが、当時はほとんど学校では教わりませんでした)、自分のような工業系の知識のない人間は工学部に行ってももうだめなのかもしれないという思いがあったこと、当時通っていた塾の先生が、何を根拠にしたのか知りませんが「これからの時代は農学だ!」と言っていたこと、そして農学なら他の理系と比べて偏差値が低いため某有名国立大学が狙えたことから、僕は最終的に全く興味のない農学部へと進学することを決めます。一応、農学部からであれば食品メーカーに入りやすいだろうということ、食品業界は多少衰退することはあれど潰えることはないだろうという考えもあったかとは思います。

結局センター試験で微妙に失敗した僕は某有名国立大学の受験をあきらめ、別の中堅国立大学を受験することになります。志望学部を変えてもよかったのですが、その時期に学部を変えるというのは自分に芯がないみたいで嫌だった(実際芯がなかったわけですが)ため、学部は変えず、そのまま浪人することなく農学部へと進学しました。

 

惰性で過ごした大学時代となんとなくこなした就職活動

大学の勉強は案の定興味なく、ただただ留年しないように単位をとることだけを目標に勉強をし、あとはバイトとサークル活動という典型的なダメ大学生になりました。モラトリアムを延長したいからという理由だけで大学院にまで進学し、なぜか全く興味のない農学修士の学位を得て僕はめでたくストレートに大学・大学院を卒業します。

そんな僕が就職先に選んだのは、某大手SIer企業。食品メーカーからも内定はもらっていましたが、工場勤務がなんとなく嫌だったこと、単純にSIerの方が給与や福利厚生が良かったこと、それと、ここまできてやはり農業系(食品系)よりは情報系の方が興味があるだろうという思いから食品メーカーは辞退しました。

 

肩書だけの人生、そして鬱へ

紆余曲折ありましたが、なんだかんだ高校を学年主席で入学・卒業し(最終的に合格した大学の偏差値は学年トップではありませんでしたが)、そこそこの国立大学に浪人することなく入学、ストレートで大学院まで卒業して大手企業へ入社。これだけ見れば順風満帆な人生、所謂「成功した人生」を歩んでいると内心思っている自分もいました。あとは勤務時間はしっかり働いて、仕事以外の時間をめいっぱい楽しめばそこそこいい人生を過ごせるだろう、そんな風に思っていました。

しかし社会は、芯のない流れだけで生きてきた人間が適当に過ごせるほど優しいものではありませんでした。

多少の興味はあったとはいえなんとなく程度、業界自体は大学で学んでいたことと畑違いのため右も左もわからない状態。そんな状況で私は再び、高校の時のように何かに追われるように勉強しながら働く生活をするようになります。情報系の勉強は少なくとも農学よりは断然楽しかったです。しかし勉強は勉強、どちらかといえばしたくないものです。おまけに一年目からそれなりに責任ある仕事を任されてしまい勤務時間はプレッシャーに圧し潰されそうになりながら働くことになります。

そんな状態が数か月続いた結果、僕はうつ病を発症しました。

うつ病になってからの話はまた別の記事にしたいと思うのでここでは書きませんが、うつ病は想像以上につらい病気です。身体は健康なはずですが、誇張でもなんでもなくまともに働けない状態になります。ただ働けないだけならいいのですが、精神的にひたすらにつらい状態が仕事中も仕事以外の時間もずっと続くのは地獄としか言いようがありません。

 

終わりに

こんなブログを読んでいる学生の方なんていないと思いますが、それでも伝えさせてください。

勉強も大切ですが、自分のやりたいことをしっかり見つけてください。些細なことでも自分の興味に正直になってください。そして就活の際は、自分が仕事を続けるために必要な条件は何なのか(給料なのか勤務時間なのか仕事内容なのか通勤時間なのか福利厚生なのか等)しっかりと見定めてください。芯もなく就職まで駒を進めた先に待っているのは地獄かもしれません。

ここまで書いて、非常に読みづらく長い文章になってしまったなと自分でも思います。一度下書きに残して後日推敲してから投稿するとは思いますが、それでも文才のない自分には読みやすい文章にできる気はしていません。

ここまで駄文に付き合っていただきありがとうございました。

 

それではまた別の記事で